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「カンホアの塩」のコンセプト

何はなくとも「水と塩」

人間にとって最もベーシックな食べ物は「水と塩」だと思う。
「水と塩」、それって海水ではないか・・・。

カンホアの塩専用天日塩田近くのビーチ

昔、私は旅先で出会った仲間数人と、タイ南部の島の海辺で、数ヶ月暮らしていたことがある。市場に買い物に行き、借りたバンガローの前で焚き火をしながら自炊していた。ある日、私が野菜のスープを料理していたときのこと。塩が切れてたのに気がつき困っていると、仲間の一人が「塩ならここにたくさんあるよ」と目の前に広がる海を指差した。その突拍子もないアイデアに、私はたじろいだ。しかし、少し考えてみると、経験もないことだし、面白そうだなと気持ちが切り替わり、私は海に入り海水を汲んできた。自炊のワイルド感はグッと増し、その場は盛り上がった。が、味を見た私たちはショックだった。あまりの苦さとエグさゆえ、食べられなかったのだ。結局、あわてて塩を買いに走った後、スープの液体だけを捨て、残った具材に改めて水と塩を加えて炊き直した。野菜の味が抜け切ってしまったスープは、悲しくなる味だった。当時、私たちは「海水=水+塩」ぐらいに思っていたのだった。しかし、海水と塩水は違うもので、海水は塩の代わりにはとても使えない。だから人間は昔から、はるばる岩塩を運んだり、わざわざ海水を干したり焚いたりして塩を作ってきたのだ。

そんな海水から『地球上の全ての生き物は生まれてきた』と言われている。だとすると、私たち人間の祖先は昔、海で暮らしていたということ。その頃は、魚のように、生きるために海水が必要だった。そして、やがて陸に上がった人間は、今度は海水ではなく、どういう訳か「水」と「塩」を「別々に」必要になった。そう考えると、その「水」と「塩」が、即、純粋なH2OとNaCl(塩化ナトリウム)なハズはないと思える。と同時に、塩は海水から水分を抜いただけのものでもない。そのあたりが何ともハッキリしない。ここに私の永遠のテーマがある。

「おいしい塩」とは?

塩の代わりに海水を使わないまでも、海水をなめて「おいしい」とは感じませんね。そもそも海水の成分は地球上どこでもほとんど同じ。だから「おいしい海水」「まずい海水」ということもない。しかし「水」や「塩」となると、とたんに人は「おいしい・まずい」と言い始める。そして、「水」や「塩」を「おいしい」と感じるとき、それは(舌でというより)身体でおいしいと感じるような気がする。例えば、真夏の炎天下、喉がカラカラに乾いたときにゴクゴク飲む水のおいしさのように。こう思い巡らすと、人間の「おいしい・まずい」の感覚は、もしかしたらココ、つまり「水」と「塩」が出発点なのではないかと、思えてしまう。だから「おいしい塩とは?」の答えには、きっとその元である海水と関係した何かがあるはずだ。さらに言えば、広く食べ物・飲み物の「おいしさ」の根っこのようなものまでもが、ここにあるのではないか、とさえ私は思ってしまう。

さて、「おいしい塩とは?」の答えは、塩を作っている者として当然あります。その答えを目指して、隅から隅までの様々な製造工程が決められ、カンホアの塩は作られています。それをこの章でお伝えしたいと思います。是非、ご一読を。

(有)カンホアの塩
代表 下条剛史